名作映画 cinema-enter

名作映画の入口にご案内します。

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第30回 『Fukushima 50』①

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まずは作品情報です。

2020年3月6日に公開されました。

⚫️あらすじ

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本での観測史上最大となる地震が発生。巨大な津波福島第一原子力発電所を襲う。津波の浸水で全電源を喪失して、冷却不能の状況に陥った原子炉は、このままではメルトダウン炉心溶融)が起きてしまう危機に直面する。

現場作業員は原発内に残り、放射能の恐怖と闘い原子炉を制御しようと試みる。全体の指揮を統括する吉田所長は部下たちを励まし支持する一方で、状況を把握しきれず判断の遅い本店や首相官邸に対し怒りをぶつける。そして現場の努力もむなしく事態は悪化し、近隣の人々は強制的に避難する事態に。

政府が試算した事故による最悪のシナリオでは、被害範囲は半径250km、避難対象人口は約5000万人にも及び、東日本は壊滅する。

現場に残された唯一の手段は「ベント(圧抜き)」だった。しかし未だかつて世界で実施されたことがなく、しかも放射能の危険の中を作業員が原子炉内に突入して手動で行わなければならない。作業員は皆んな躊躇なく決心して、原子炉へ向かう為の「決死隊」が編成され作戦が決行される‥。

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門田隆将著『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発』が原作です。

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2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震での津波による福島第一原子力発電所事故発生時に、発電所に留まって暴走する原子炉と闘った約50名の作業員たち・通称「フクシマ50」を描く物語。

しかし映画版では、登場する政治家や関係者は役職名として登場するだけで、吉田昌郎氏以外はモデルとなっている人物の実名では登場しないのです。また電力会社の名前も「東都電力」に変えられています。

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福島第一原発 1・2号機当直長、伊沢郁夫と曳田史郎➡︎佐藤浩市/ 伊崎利夫

福島第一原発 所長、吉田昌郎➡︎渡辺謙/ 吉田昌郎

福島第一原発 5・6号機当直長➡︎吉岡秀隆/ 前田拓実

福島第一原発 発電班長➡︎緒方直人/  野尻庄一

福島第一原発 管理グループ当直長➡︎火野正平/ 大森久夫

福島第一原発 第2班当直長、平野勝昭➡︎平田満/ 平山茂

福島第一原発 第2班当直副長➡︎萩原聖人/ 井川和夫

内閣総理大臣(菅直人)➡︎佐野史郎

内閣官房長官(枝野幸男)➡︎金田明夫

福島第一原発 緊急対策室総務班職員、佐藤眞理➡︎安田成美/ 浅野真里

原子力安全委員会委員長(班目春樹)➡︎小市慢太郎

経済産業大臣(海江田万里)➡︎阿南健治

東京電力 フェロー武黒一郎➡︎段田安則/ 東都電力 フェロー竹丸吾郎

 

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第29回 「無法松の一生」②

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産経新聞 月刊「正論」の元編集長の上島嘉郎さんが『武士道と日本人』について話しをされてるのを聞いて、この物語はまさしくその『武士道』に通じるものがあるし、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物で、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉で有名な『葉隠』の精神だと思います。

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上島さんが考える武士道精神は、「己ではない誰かのために命をかけることができるか」なのだそうです。まさに主人公の松五郎の姿そのものです。

武士道の基本となる精神は「強くないという事は恥」ということです。男は強くなければならない。それは松五郎さんが小太郎に一生懸命に伝えようとしてた事ですね。

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そして葉隠の中で有名な言葉「忍恋」

葉隠』には「恋の至極は忍ぶ恋」だと断言しています。「忍ぶ恋」とは、一言でいえば永遠の片思いのことである。

これもまた松五郎さんが未亡人の吉岡良子さんに恋心を抱きつつも、その気持ちをグッと抑えてお世話になった母子に尽くしていく姿そのものですね。

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男は死ぬ覚悟を持ってこそ、その一瞬に命を賭ける事が出来る。誰かの為に何かの為に、最良の生き方が出来るということ‥それが「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の意味であろうと思います。

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第29回 「無法松の一生」②

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公開された1958年、昭和33年にどんな出来事があったかを挙げていきたいと思います。

 

⚫️1月

東京通信工業ソニーに社名を変更

◉1月4日 - スプートニク1号が大気圏に再突入し消滅(1957年10月4日打ち上げ)

◉1月31日 - アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号打ち上げ。

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⚫️2月

◉2月6日 - ミュンヘンの悲劇マンチェスター・ユナイテッドFCの選手8人を含む乗客23人が死亡。


2月14日 - イラクとヨルダンによる連邦国家アラブ連邦発足。

⚫️3月

◉3月9日 - 関門トンネルが開通。本州(山口県下関市)と九州(福岡県門司市、現在の北九州市門司区)が道路で結ばれる。

◉3月26日 - ナンシー梅木が映画「サヨナラ」で日本人初のアカデミー助演女優賞を受賞。

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⚫️4月

◉4月5日 - 巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー。

◉4月19日 - 日本コカ・コーラ、炭酸飲料「ファンタ」を日本で発売。

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⚫️5月

◉5月5日 - 広島市広島平和記念公園内で、原爆症で死亡した佐々木禎子を追悼する「原爆の子の像」の除幕式。

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⚫️6月

◉6月1日 - シチズン時計が目覚まし付き腕時計「アラーム」を発売。

◉6月1日 - 大阪テレビ放送(現在の朝日放送テレビ)にて、日本初のVTR撮影によるテレビドラマ『ちんどん屋の天使』が放映。

◉6月15日 - ピザハット創業。

⚫️7月

◉イギリス女王エリザベス2世、息子のイギリス皇太子チャールズに、プリンス・オブ・ウェールズの称号を授与。

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⚫️8月

◉沖縄から沖縄県立首里高等学校が第40回全国高等学校野球選手権大会に出場。検疫の関係で甲子園の土が持ち帰れない事件が起こる。

本田技研工業が「スーパーカブ」を発売。

◉8月25日 - 日清食品が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。

◉8月31日 - 早稲田実業王貞治投手の巨人軍入団決定。

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⚫️9月

◉9月1日 - アイスランドとイギリスの間でタラ戦争勃発。

◉9月2日 - 中国中央電視台の前身、北京電視台が、中華人民共和国初のテレビ放送開始。

◉9月15日 - 朝日麦酒が日本初の缶ビールを発売。

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⚫️10月

◉10月1日 NACAがNASAに名称変更。

◉10月14日 - 東京タワー竣工。

⚫️11月

◉11月27日 - 宮内庁、皇太子・明仁親王と正田美智子の婚約を発表、ミッチー・ブームはじまる。

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⚫️12月

◉12月1日 - 新1万円札(聖徳太子像)発行。

◉12月23日 - 東京タワー完工式。

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🎥この年に公開された映画🎬

死刑台のエレベーター(監督:ルイ・マル

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灰とダイヤモンド(監督:アンジェイ・ワイダ

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◉めまい(監督:アルフレッド・ヒッチコック

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隠し砦の三悪人(監督:黒澤明

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楢山節考(監督:木下惠介

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◉張込み(監督:野村芳太郎

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シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第29回 「無法松の一生」①

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作品の紹介です。

 

1958年(昭和33年)4月22日公開。

監督 / 稲垣浩

脚本 / 伊丹万作

原作 / 岩下俊作

出演 / 三船敏郎
    高峰秀子

    芥川比呂志
    笠智衆

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稲垣監督が1943年(昭和18年)に製作した『無法松の一生』を、自らリメイクした作品。前作では検閲によりカットされたシーンがあり、本作でその無念を晴らし、第19回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。

授賞式に羽織袴の正装で出席した稲垣監督は、感激のあまり日本に「トリマシタナキマシタ」と電報を打ちました。

映画祭には、本作と共に木下惠介監督の『楢山節考』と、増村保造監督の『巨人と玩具』が出品され、『楢山節考』とはトップ争いの形となったそうですが、本作の方が圧倒的な支持を得て金獅子賞獲得となりました。

しかし、「大賞はきっと『楢山節考』だろう」と予測して、通信社は松竹のある方向をむいて待機していたという。稲垣監督は「こっちがもらってわるいことをした」と照れておられたそうです。稲垣監督によると、外国にいると「東宝」だの「松竹」だのといった意識はなくなってしまい、日本の映画の受賞を願う気持ちでいっぱいになるそうで、「だから私の作品でなかったとしても、私の日本に打った電文は『トリマシタナキマシタ』であったろう」と、この授賞式を振り返っています。

 

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第28回 「パラサイト 半地下の家族」②

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⚫️竹島について

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-外務省のホームページより-

竹島は,歴史的事実に照らしても,かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です。

韓国による竹島の占拠は,国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり,韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

日本は竹島の領有権を巡る問題について,国際法にのっとり,冷静かつ平和的に紛争を解決する考えです。

(注)韓国側からは,日本が竹島を実効的に支配し,領有権を再確認した1905年より前に,韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

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2005年3月に島根県が「竹島の日」条例を制定しました。2月22日は『竹島の日です。

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-内閣官房のホームページより-

戦後、1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約では、日本は朝鮮の独立を承認するとともに、放棄すべき地域に「済州島(さいしゅうとう)、巨文島(きょぶんとう)、鬱陵島(うつりょうとう)を含む朝鮮」が規定され、竹島を日本が放棄すべき地域に含めませんでした。
これに先立つ同年7月、韓国は米国に対し、「日本が放棄すべき地域に竹島を加えて欲しい」と要求しましたが、米政府は、8月にラスク国務次官補発の書簡で、竹島は朝鮮の領土として扱われたことはなく、また、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない旨を回答し、韓国側の主張を明確に否定しました。
このように、竹島は、歴史的にも国際法上も明らかに我が国固有の領土です。

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このように、1951年のサンフランシスコ平和条約が締結され、日本がまだ混乱期であり自衛隊の存在もまだ無い中で、1952年に韓国の李承晩大統領が宣言した境界線『李承晩ライン』を引いて実効支配を行いました。

 

そして韓国は日本に対して、

 

328隻の漁船を拿捕し44人が死傷。

3929人が不法に抑留され、過酷な環境の刑務所の中で8人が死亡しました。

 

罪のないたくさんの日本人が、韓国の不法な行動によって犠牲になっている事を知って頂きたいと思います。

そして竹島は古来から日本の領土であり、必ず取り返さなければなりません。

 

日本人が正しい歴史を学ばなければ、韓国からもバカにされてしまいます。無知ではいけません。日本人の中でも間違った認識の人も多いので気をつけましょう。

 

 

 

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第28回 「パラサイト 半地下の家族」①

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はじめに作品情報です。

 

2019年の韓国映画で、2020年度の米国アカデミー賞の作品賞や監督賞、脚本賞などを受賞しています。

 

監督、脚本はポン・ジュノ

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出演は、ソン・ガンホ

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チェ・ウシク

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パク・ソダム

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イ・ソンギュン

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チョ・ヨジョン

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チャン・ヘジン

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⚫️ストーリー

過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。
「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。

パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。(オフィシャルサイトより引用)

 

作品としては面白かったのですが、劇中で登場人物(ジェシカ:ギジョンの偽名)が口ずさむ歌、通称「ジェシカソング」が「独島は我が領土」という韓国の歌謡曲の替え歌で、反日な要素を意図的に取り入れており、しかも2020年2月20日に行われた文在寅大統領主催の昼食会で取り上げられ、記者団の前で文大統領が「ジェシカソングは、そのメロディーや歌詞は誰が決めたのですか?」と尋ねて、ジェシカ役のパク・ソダムが「監督」と伝えると、ポン・ジュノ監督は「日本の観客もそれを歌うそうです」と発言して一同を爆笑させたと報じられました。

 

ポン・ジュノ監督だけは、そういった政治的な反日思想を持たない人と(勝手にですが)思っていましたので残念でなりません。

 

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第27回 「恐怖の報酬」②

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映画の後半では危険なニトロをトラックで輸送する、手に汗にぎる物語へと展開していくのですが、これは映画史に残るほどの緊迫感あふれる場面の連続です。フリードキン監督も話されていますが、CGが登場する前の時代の映画ですから、数々の爆破シーン、壊れた吊り橋をトラックで渡るシーンなど、すべてがリアルに撮影されています。

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この作品は、ユニバーサルとパラマウントの 2 大メジャー・スタジオが破格の2000万ドル(現在の 100 億円相当)の巨費を共同出資して、ロケは 3 大陸 5 ヶ国に及び、2 年を超える製作期間を費やした超大作として1977年公開されました。

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しかし当時は『スター・ウォーズ』ブームと重なってしまい、男しか出てこない血と汗と泥まみれの『恐怖の報酬』は、興業的に大惨敗してしまいました。そのために海外で上映する際に、配給会社はフリードキン監督に無断で再編集を行い、121分の北米公開版を92分にまで縮めてしまったのです。そのため世界的にも本作を正当に評価されず、長く放置されてしまいました。

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二社のスタジオが出資していた事もあって、権利関係が複雑化してしまい長く封印されていたが、本作を蘇らせるべく2011年にフリードキン監督は自らスタジオ 2 社を提訴し
権利者を特定しました。そして2013 年に 121 分【オリジナル完全版】の 4Kデジタル修復に着手し、同年のヴェネツィア映画祭でプレミア上映されました。以後、2014 年 LA、2015 年パリ、2016 年カンヌ映画祭、2017 年ロンドンで上映されたのです。
そして1978年の公開から40年の時を経て、2018年に日本でも公開されました。

フリードキンがそのキャリア史上最も心血を注ぎ、監督自身が「最高傑作」と評する作品です。

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