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シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第11回 「硫黄島からの手紙」②

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2006年公開の「父親たちの星条旗」はアメリカ側からの視点で描かれた硫黄島の戦いであり、当初はこの日本側の視点で描いた「硫黄島からの手紙」を製作する予定ではなかったようです。監督のクリント・イーストウッドが資料を調べるうちに栗林大将の存在に惹きつけられて、2作品を作ることに決めたそうです。

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アメリカにおいては、硫黄島の戦いの報道がリアルタイムでなされていたこともあり、この戦闘の状況と栗林中将の知名度は高く、特に戦後の軍事史研究家やアメリカ軍人に対し、「太平洋戦争における日本軍人で優秀な指揮官は誰であるか」と質問した時に「General Kuribayashi」と、栗林忠道さんの名前を挙げる人が多いそうです。

 

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戦闘自体は敗北に終わったものの、僅か22平方キロメートルに過ぎない硫黄島を、日本軍の3倍以上の兵力、および絶対的な制海権・制空権を持ち、予備兵力・物量・装備全てにおいて、圧倒的に優勢であったアメリカ軍の攻撃に対し、最後まで将兵の士気を低下させずに、アメリカ軍の予想を上回る1か月半も硫黄島を防衛した指揮力は、アメリカ合衆国では高く評価されている。

従来、日本軍の島嶼防衛における「水際作戦」という方針を退け、広大な洞窟を掘り地下陣地を構築したうえで、不用意なバンザイ突撃による玉砕を禁止し、部下に徹底抗戦を指示した。その結果、アメリカ軍の死傷者総数が、日本軍守備隊のそれを上回り、また多大な物的損害を与えることにも成功しています。

 

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栗林忠道大将は良き家庭人でもあり、北米駐在時代や硫黄島着任以降には、まめに家族に手紙を書き送っている。アメリカから書かれたものは、最初の子どもである長男・太郎が幼かったため、栗林直筆のイラストを入れた絵手紙になっています。硫黄島から次女(「たこちゃん」と呼んでいた)に送った手紙では、軍人としてでなく一人の父親として書いた内容になっています。

 

「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。戦地のお父さんより」

実際の手紙は、防衛省に保管されています。

 

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