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シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第15回 「2001年宇宙の旅」②

🔴戦後の宇宙開発競争を簡単にですがお伝えしていこうと思います。

 

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第二次大戦後、米ソ両国が冷戦状態になり国家的プロジェクトとして、軍事的技術の研究として宇宙開発競争となっていきます。アメリカは海軍が主導していたヴァンガード計画に基づき1955年7月に、ソ連は8月にそれぞれ人工衛星の打ち上げを宣言しました。

アメリカが技術的問題に直面しているなか、ソ連は1957年10月に人工衛星スプートニク1号、11月には犬を乗せたスプートニク2号に成功し、アメリカはスプートニク・ショックに陥る事になります。

 

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焦りをみせたアメリカは12月にヴァンガード1号の打ち上げますが失敗してしまいます。

アメリカはヴァンガード計画を見直し、1958年にNASAを設立して、1月にエクスプローラー1号の打ち上げに成功しました。

 

ソ連スプートニクで軌道上に人工衛星を送り込んだことに対抗し、アメリカはマーキュリー計画で有人飛行において優位に立とうと考え、ソ連より先に月面に探査機を送り込むことを計画した。パイオニア計画と呼ばれるこの月探査計画は失敗が続きました。

 

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ソ連も同じく月探査ルナ計画を実行し、1959年1月4日にルナ1号を打ち上げ月に接近させ、衝突させるはずがそのまま通過してしまいますが、結果的に世界初の人工惑星となりました。続く1959年9月4日のルナ2号は月面衝突に成功します。世界で初めて月に人工物を送り込んだのです。さらにその後も、ルナ3号が月の裏側を撮影したのです。

 

1961年4月 ソ連ボストーク1号に登場したユーリ・ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を実現しました。ガガーリンが帰還後の記者会見で「地球は青かった。」と言ったのは有名ですね。

 

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この直後の5月に、アメリカは宇宙飛行士のアラン・シェパードがマーキュリーレッドストーン3号でアメリカ初の有人宇宙飛行に成功しました。

アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1960年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表しました。

 

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そして1961年8月、ソ連はボストーク2号にゲルマン・チトフが搭乗し一日以上宇宙を周回しました。「神は見当たらなかった」と話したのはチトフの言葉です。

 

アメリカは1961年にジェミニ計画を行う。

この計画は、アポロ計画で必要となる月面着陸の為の技術を開発する事にありました。

 

1966年1月31日、ソ連無人月探査機ルナ9号を打ち上げ、2月3日に世界で初めて月面への軟着陸に成功しました。

 

そしてアメリカはアポロ計画に移行していきます。

1969年7月20日、宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンがアポロ11号に搭乗し、人類が初めて月面に着陸する事に成功するのです。

 

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アームストロングの有名な言葉です。

『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。』

 

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まだまだ書き足りないくらいですが、またの機会に宇宙開発について勉強していきたいと思います。