名作映画 cinema-enter

名作映画の入口にご案内します。

シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第8回 「ビッグ」②

ここでは日本のおもちゃの歴史について簡単に話していきたいと思います。

 

f:id:cinema-enter:20200723000926j:image

 

日本最古のおもちゃは独楽です。

独楽

6世紀頃に鞭のようなもので叩いて回す「ぶちゴマ」、「叩きゴマ」と見られる木製の出土品が出土されており、奈良・平城京跡や藤原宮跡などからも7世紀から10世紀頃のものと思われる独楽型の木製品が出土。
こうして出土された独楽と思われるものは「貝合わせ(ひとつの貝殻に合う貝殻を見つける、神経衰弱のような遊び)」とともに貴族の遊びとして親しまれ、宮廷の儀式などに使用されることもあったようです。

 

めんこ

その歴史は江戸時代に始まったと言われています。
江戸時代に登場した頃のめんこは「泥めんこ」と呼ばれるものが主流となっており、これは直径3センチ、厚さ3.4ミリほどの面型に粘土を詰め、それを素焼きにして製造したもの。
発祥地は大阪で全国に普及していきます。その中には人の顔型や物の形をしたものなど2000種以上になります。

明治時代になると面子の素材は鉛になり、やがて木や紙へと変化して普及すると、泥面子は姿を消していきました。

 

おはじき

女の子の遊びとして親しまれてきました。中国から伝わった遊びとされており、最初に日本へ伝わったのは奈良時代に入ってからです。
それ以前は貝殻や小石、植物の実などを利用して遊ばれてきました。
こうしたおはじきは上流階級の大人たちが遊ぶものとされてきましたが、時代が江戸時代になると「女の子」の遊びとして発展します。
明治時代に入ると現代に見られるガラス製おはじきが作られるようになり、その後登場したプラスチック製のおはじきは算数などの「学術用おはじき」として利用されることもあります。

 

お手玉

お手玉の始まりは紀元前1000年頃。
欧州の遊牧民の人々が羊の骨を使った「拾い技」として遊んだのが始まりと言われており、約4000年前の古代エジプトの洞窟壁画にはお手玉らしき物を投げて遊ぶ女性の姿が描かれています。
お手玉の文化が日本へ伝わったのは奈良時代に入ってからです。
当時は手ごろな大きさの小石、水晶を利用したことから「石名取玉」と呼ばれており、聖徳太子が遊んだとされる水晶も発見されています。
平安時代に入ると女の子の遊びとして好まれるようになり、それから日本各地に普及します。
その後江戸時代から明治初期にかけて現代に見られる「お手玉」が造られるようになり、歌川広重の浮世絵『風流おさな遊び』には女の子がお手玉で遊ぶ姿が描かれています。

 

折り紙

日本の和紙の起源は5~6世紀ごろ。
和紙は記録用のほか、神様への供物を包むために使われました。
高級品だった和紙は神様に捧げるのにふさわしく、和紙の白さに「清浄」のイメージもあったようです。

さらに平安貴族の間で「和紙を使い、贈り物をいかに美しく包むか」ということが流行し、この「包む」行為が折り紙のはじまりだと伝わっています。
また、平安時代には「カエルの折り方」があったそうで、和紙の切れ端を使って遊んでいたと考えられます。

「世界最古の折り紙文献」である1797年の書物『秘傳千羽鶴折形』には、49種類の鶴の折り方が記されているそうです。
この書物は大人向けに記されていて、当時は子どもだけではなく大人も折り紙で遊んでいたことがうかがえます。

 

これらの他にも「けん玉」や「ヨーヨー」などあります。昔ながらの玩具は廃れてしまって、今の子供たちはあんまり遊ぶ事がなくなりましたね。

 

f:id:cinema-enter:20200723010733j:image

 

この映画のように大人になると子供の純粋な心を失ってしまって、目先の売り上げや成績ばかりにとらわれてしまう。そういった大切な気持ちをハッと思い起こさせてくれる、温かい作品であります。