シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第13回 「アマデウス」②
実際のモーツァルトについて📝
父のレオポルトは息子が天才であることに気付き、幼少から徹底した音楽教育をしました。3歳のときにはチェンバロを弾き始め、5歳のとき最初の作曲を行う(クラヴィーアのためのアンダンテ ハ長調)、まさしく神の子、神童でした。
6歳の時の演奏旅行で、ウィーンにある宮殿を訪れた際そこで転んでしまい、その時に手を取ってくれた7歳の皇女マリア・アントーニア(のちのマリー・アントワネット)に対して「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったそうです。
12歳の時に作曲した「バスティアンとバスティエンタ」は、子供と思えぬほど表現豊かに恋愛をテーマに作曲しており、ベートーベンが真似たと言われている。
13歳の時にイタリア旅行した際、ローマのシスティーナ礼拝堂で門外不出の合唱曲「ミゼレーレ」を聴く。その曲の長さは約10分ほどありますが、それを一度聴いただけで宿に戻ってからすべて楽譜に写してしまった、というエピソードは有名です。
17歳の時に作曲した「交響曲第二五番」。
これは暗くて悲劇的な叫びのような音楽であり、この映画「アマデウス」の冒頭で、サリエリが喉を切って血まみれになったシーンで流れています。この不気味なシーンと音楽がピッタリと重なってとても見事です。
モーツァルトが才能を発揮して曲を出すたびに世間からは受け入れられず、だんだんと敬遠されるようになり人気は急落しました。
父のレオポルトでさえ、もうその才能を理解することは出来ませんでした。
モーツァルトの才能の凄さを見抜いていたのは、作曲家ハイドンそしてベートーベンなど一部の人たちだけでした。
そしてモーツァルトは貧困のうちに35歳の若さで命を失います。
モーツァルトの人生や死については謎も多く、さまざまな説があります。サリエリについても、映画のような嫉妬深いキャラクターでなくもっと好感の良い人物のようです。モーツァルトと何か問題があったような記実が残っているわけでもありません。
しかし映画は独自の切り口で描かれていて、たいへん興味深く面白い名作となっています。