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シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第11回 「硫黄島からの手紙」①

戦後75年 2020年8月15日 -終戦の日-

 

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まずは作品の紹介から💁🏻‍♂️

 

2006年、東京都小笠原諸島硫黄島。そこで調査隊が地中から数百通もの手紙を発見した。それは61年前、この島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に彼らは何を託したのか‥。

 

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戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、アメリカ留学の経験を持ち、西洋の軍事力も知り尽くしている陸軍中将の栗林忠道渡辺謙)が、本土防衛の最後の砦ともいうべき硫黄島へ指揮官として着任。従来一般的であった水際防衛作戦を中止させて、洞窟を掘り地下要塞を作り内地持久戦による徹底抗戦に変更する。また部下に対する理不尽な体罰を戒めた栗林に兵士たちは驚きの目を向ける。

1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。その圧倒的な兵力差から5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、死傷者数が日本軍よりアメリカ軍の方が多いという、36日間にも及ぶ歴史的な激戦となった‥。

 

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硫黄島はこのあたりにあります。

東京都から南方におよそ1200Kmに位置します。

 

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戦後から現在は海上自衛隊航空自衛隊の基地が置かれており、基地関係者以外の民間人の全島への立ち入りが制限されています。

 

日本の海軍関係やアメリカなどは「いおうじま」と呼び、島民や日本陸軍では「いおうとう」と呼ばれていましたが、2007年以降は正式に「いおうとう」に統一されました。

 

映画では東京都から、硫黄島での映画ロケが1日だけ許可されました。このとき撮影された映像は、栗林中将が防衛計画を立てるために海岸の調査を行うシーンや、オープニングで摺鉢山頂上に建立されている硫黄島の日本軍慰霊碑から、島全体を見下ろしていくシーンなどに使用されています。

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イーストウッド監督は、黒澤明監督が生きていれば彼にこの作品を撮ってもらいたかった、と話しています。日本人として日本人が映画にしないといけない作品と思いますが、残念ながら今の日本映画界、また日本人の中でこれほどの作品を撮れる人材がいないと思います。

 

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