シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第20回 「八甲田山」③
高倉健さん扮する徳島大尉の言葉‥‥。
「調査をすればするほど恐ろしい‥
日本海と太平洋の風が直接ぶつかり、冬の山岳としてはこれ以上はない最悪の地帯です。
おそらく今後、30年‥50年‥いや100年経っても冬の八甲田はガンとして人を阻み、通ることを許さないのではないかと思います。」
地図で確認しておきましょう。
北部の青森から一気に八甲田を攻めた北大路欣也さん扮する神田大尉の五連隊210名。
弘前から十和田湖を通り、240キロを迂回して挑む徳島大尉の三十一連隊27名。
実際には両連隊は日程を含め、お互いの雪中行軍予定を知らずに計画を立てていました。
映画では実在した人物の名前を変えたり、徳島大尉と神田大尉が八甲田ですれ違うなどの設定を創作するなどして、映画としてのエンターテイメント性を作り上げています。
ただでさえ特殊な地形で独特の雪の降り方をする八甲田で、この雪中行軍訓練が行われた1902年(明治35年)1月20日から2月1日は、今で言うところのバクダン低気圧に覆われていた最悪の状況でした。
体感温度はマイナス50度であったと言われています。
しかも装備は貧弱でとても極寒の状況に耐えられる装備ではなく、雪中行軍参加者のほとんどは岩手県、宮城県など寒冷地の農家の出身者ではありましたが、八甲田の厳冬期の特殊な雪に対する知識や防寒の知識は皆無でした。
さらに予備で行われた行軍が晴天に恵まれた事もあって、雪の中の遠足のようだったとの噂が広まり、雪中行軍をトレッキングのように考えている者が多かったといわれています。
映画では三國連太郎扮する山田少佐が、北大路欣也演じる神田大尉の判断に反して場当たり的に命令を下し、指揮系統が混乱していき極寒の中でまともな判断も出来なくなって、八甲田の白い地獄の中から抜け出す事が出来なくなってしまいました‥。
山中で高倉健扮する徳島大尉の部隊に協力してくれる村の案内人(秋吉久美子)に対して、軍人としての威厳を保ちながらも、きちんと礼儀を尽くすシーンがあります。
「気をつけっ! 案内人殿に対し、かしらーっ右っ!」
この場面では涙が溢れました。
昔の兵隊さんは立派でした。お隣の国が何かと文句つけ騒いだりしますが、絶対にそのような酷い事をする日本人はいません。
お隣の国以外では尊敬され感謝されています。
現在も親日の国がたくさんあるのは、名もなき兵隊さんたちが白人支配の国々で戦って、その国の人たちの為に命をかけたからです。
青森市に八甲田山雪中行軍遭難資料館があります。当時の時代背景や行軍計画、遭難・捜索の様子を史実に基づいた資料の展示や映像で紹介されています。
歴史からさまざまな事を学ぶのは大事なことですね。