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シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第20回 「八甲田山」②

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脚本家の巨匠 橋本忍

 

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⚫️橋本忍さんについて話したいと思います。

 

1938年に鳥取歩兵四十連隊に入隊するも結核に罹り、永久服役免除され療養生活に入る事になります。

1939年に岡山県の療養所で隣にいた兵隊さんの読んでいた映画の本を読み、シナリオに興味を持ちました。その兵隊さんに「日本で一番偉い脚本家は誰か?」と訊ね、「伊丹万作」と聞いて脚本家を志す決心をします。

 

1942年に執筆したシナリオ『山の兵隊』を映画監督であり脚本家の伊丹万作に送り、その才能を認められ姫路市にある軍需会社に勤めながら、「唯一の脚本家としての弟子」としてシナリオの指導を受けました。

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1949年、サラリーマン生活をしながら芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を書きます。これが黒澤明の目に留まり、長編作品に仕上げるように依頼され、同じく芥川の短編小説『羅生門』も加えて加筆しました。

1950年に黒澤明監督で映画化された『羅生門』が公開され、橋本忍は脚本家としてデビューしました。この作品はヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞し高い評価を受けました。

これを機に上京し専業脚本家となりました。

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その後、黒澤明の作品『生きる』や『七人の侍』、『隠し砦の三悪人』などの脚本を務めます。

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そして黒澤明作品以外にも『真昼の暗黒』、『張込み』、『ゼロの焦点』、『切腹』、『白い巨塔』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』などの脚本を次々と手がけます。

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1973年、松竹の野村芳太郎東宝森谷司郎などが参加し、映画界に新風を吹き込むべく「橋本プロダクション」を設立します。

1974年に第1作として山田洋次との共同脚本で『砂の器』を製作します。原作者の松本清張に「原作を上回る出来である」と言わしめる傑作で、興行的にも大成功しその年の映画賞を総なめにしました。

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続いて1977年公開されたのが今回の紹介する作品、森谷司郎監督の『八甲田山』です。

当時の配給の新記録を打ち立てる大ヒットとなりました。

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橋本忍さんは「八甲田山」が日本映画界に与えた影響について‥‥こんなふうに語っておられました。

『キツい作業が伴う映画だったけれども、それでも出来たのは俳優さんやスタッフが、映画界というのは崩壊しつつあるっていう事を誰もが感じてて、それを支えようと一生懸命になって作ったと思う。しかし出来上がってみると、この映画を頂点に日本映画は一気に崩壊してしまった。』

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2018年7月19日100歳で亡くなられた橋本忍さん‥出身地の兵庫県市川市に記念館があります。是非立ち寄って頂けたらと思います。

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