シネマ・エンター 忘れないよ名作映画 第17回 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」②
🇺🇸アメリカの歴史について話していきたいと思います。すべてを話すと長くなりますし複雑だったりしますので、出来るだけ簡略化して分かりやすくしたいと思います。
⚫️アメリカ大陸発見とインディアン
1492年10月12日をコロンブスによるアメリカ大陸の発見と呼びます(ヨーロッパ中心主義に基づいた不適切な言葉でもあります)が、この発見についてコロンブス本人は否定していて、発見した大陸はインドだと誤認していました。
またイタリアの地理学者・天文学者アメリゴ・ヴェスプッチが最初にアメリカ大陸発見したという説もあります。ちなみにアメリカはという名称はアメリゴから命名されたそうです。
コロンブスは探検家であり奴隷商人でもありました。コロンブスはアメリカ大陸の植民地化を進め次々とインディアンを虐殺しました。それは動物も鳥などと同じようにインディアンに対してもまるでスポーツのように、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を行いました。
そしてアメリカ大陸をフランス、スペインやオランダなどが植民地にしていくのですが、特にイギリスは東海岸沿いに13の植民地を作り、それぞれに議会による自治権を与えて政治を行なっていました。
13植民地の最初に建設された場所は、1607年のヴァージニア。そして、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、コネティカット、ロードアイランド、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランド、ノース=カロライナ、サウス=カロライナ‥最後が1732年のジョージアでした。
ハーバード大学など有名な大学が多いのは、この地域が最初に植民地として発展したからです。
北部では寒冷地なので工業が発展しました。南部は温暖なため奴隷を使った農業を行なっていました。
イギリスはフランスとの戦争などの費用がかさみ、その補てんの為にアメリカ大陸の植民地に対して課税を行いました。出版物などの印紙税や紅茶に対する税の茶税などです。
これに反発して、ボストン茶会事件が起こります。これは、1773年12月16日にマサチューセッツ植民地のボストンで、港湾に停泊中の貨物輸送船に侵入して、イギリス東インド会社の積荷である茶箱を海に投棄した事件がありました。
イギリスでは紅茶がよく飲まれますが、アメリカでは現在でも紅茶よりコーヒーが飲まれているのも、こういう経緯があります。
植民地側はこれに反発して抗議し、1775年に独立戦争が行われます。
翌年の1776年7月4日は独立宣言が行われ、アメリカ合衆国として正式な国家が誕生しました。
イギリス軍は圧倒的な戦力を沿岸部を征圧しましたが、陸地ではアメリカ大陸軍が有利に戦いました。その後の1778年にはフランスがアメリカ側について参戦し、続いてスペインやオランダもアメリカ側につきました。
1781年、フランスがチェサピーク湾の海戦で勝利したことをきっかけに、アメリカとフランスはヨークタウンの戦いでもイギリス軍を降伏させて戦闘は終了しました。
1783年のパリ条約で戦争が終結して、イギリスはアメリカ合衆国の独立を正式に認めたのです。
初代大統領は独立戦争の指揮官であったジョージ・ワシントンです。
ここからどのように南北戦争に入っていったか、次のパートでお話ししたいと思います。